昨日の参議院選挙道選挙区は久々の自民党圧勝で、これまでの衆院選や参院選の劣勢によって沈滞ムードに包まれていた自民党にようやく上げ潮が訪れたようだ。
100万票に迫る約95万票でのトップ当選は、文字通り自民党復活を強烈に印象付けたが、長谷川個人への若さに対する期待度がかなり大きかったといえる。


長谷川氏は、これまで衆院選の小選挙区で2度チャレンジしているが、いずれも大敗している。YOSAKOIソーラン祭りを北大の学生時代に始め、知名度が高かったのに相次ぐ敗退に本人もその敗因を理解できなかったのだろう。
しかし、今回の参院選に臨むにあたって長谷川はその敗因を直視し、修正してきたことが当選のインタビューでも随所に感じられた。
その一つは、高齢世代に対する思いやり、あるいは尊敬の念であろう。世代交代を強調しながらも先輩世代に対する配慮を怠らないように慎重に答えていたのはその証拠だ。さらに、「次の世代にバトンを渡すために懸命に走る」と述べるなど、謙虚さが前面に出ていたのも「長谷川は変わった」と多くの国会議員や道議たちは感じたに違いない。

YOSAKOIソーラン祭りの創始者としてのイメージが強すぎて、祭りの商業路線に反発を感じる道民・市民たちが、長谷川の名前を聞くだけで拒否反応を持っていた時期もあった。若くしてカリスマのように扱われたことで、自分を見失っていたこともあったように見える。
新聞記者によると、「小選挙区では長谷川氏と有権者の距離が近すぎて粗が見えてしまうが、全道で戦う参院選は長谷川氏と有権者の距離が遠く、長谷川氏にとっては相応しい選挙だったのではないか」と言う。つまり、富士山のように遠くから見ると素晴らしく、近くから見ると山肌が露骨に見えて魅力が失せてしまうのと同じ理屈だというのだ。
長谷川氏は三度目の正直で初当選を果たしたことによって、ようやくYOSAKOIのイメージから脱却する糸口を掴んだことになる。YOSAKOIが、長谷川氏を富士山型人物に仕立て上げた面があったのかもしれないが、参議としてその呪縛を解くことが出来るのかどうか、長谷川本人の『働き』にかかっている。
(写真は、参議初当選した長谷川岳氏)

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