来春の道知事選に元小樽市職員で現在農水省官僚の木村俊昭さん(50)が浮上した。民主党北海道が白羽の矢を立てたもので、元農水官僚で民主党道代表の荒井聡衆議が近く正式要請する。木村さんは道産子で地域再生で実績がある。正式出馬に踏み切れば、高橋はるみ現知事との全面対決になる。


木村さんは、遠軽町で小、中、高まで過ごした。当時の遠軽町の人口は2万2000人。遠軽高時代から地元役場に入ってふるさとを活性化させたいと考え、大学は地域再生専門の教授の下で学ぶことを決意。木村さんのふるさと再生にかける思いを筆ペンを使って切々と書き、地域再生で名前が通った大学教授5人に封書で送った。
返事はなかなか来なかったが、法政大の教授から「まず大学に受かれ。合格したら私の下で学べ」と短い文章が届く。木村さんは、法政大進学を決め、無事合格し憧れの教授の下で地域再生のイロハから学んだ。
大学を出で予定通り、地元の遠軽町役場を受けようとしたら、当時は高卒しか採用しておらず、大学卒は図書館司書のポストしかない。これでは大学で学んだことが生かせないと考え、道内の行政機関で大卒を採用しているところを探したところ、小樽市が見つかった。
小樽市役所に入ったのは、昭和59年。当時は運河論争が燻っていたころで、行政は埋め立て、商工会議所は全面保存で争っていた。昭和59年には小樽博覧会も行なわれたというが、木村さんは当時を振り返って、「博覧会も成功したとはいえなかった。小樽には斜陽という言葉が似合っていた」と述懐している。
昭和61年、運河を一部残して観光名所としての小樽運河が完成。観光で注目を集めたが、このころ木村さんは観光にタッチしていなかった。
小樽市役所に入った木村さんは、納税係2年間、議会事務局で議長秘書を5年間務めた後、企画、秘書課を経て経済部に。「経済部でやっと自分の思っている仕事が出来る」と感じたという。
木村さんは、経済部で次の2点に重点的に取り組むことを決めた。①世界に向けて情報発信できるマチづくり②地域の担い手、郷土に愛着心のある子供たちを育てたい―の2点。
平成8年には、寿司やガラスなどの職人の技を披露する職人展を開催、こうした職人たちがプラスαの収入が得られるように観光制作体験工房も設置。その後、全国の職人が小樽に集まってイベントを開く仕組みも作った。
こうした実績が評価されて平成18年4月から内閣府、同21年4月から農水省に出向。今年4月には小樽市役所に戻ったが、市を退職して農水省大臣官房政策企画官に就いている。
木村さんは地域資源を活用した地域おこしの専門家として全国各地の自治体や団体のアドバイザーを務めており、年間4000人と名刺交換をするという。
「地域の一番の問題は人材が育っていないこと。地域にある大学や信金、商工会議所、行政が連携してしっかりした人材の育成に努力すべきだ」(木村さん)
自治体が地域活性化の政策を練り上げていく過程で、国の制度などを導入して予算を確保しても、予算を確保したら熱気が萎えてしまい地域活性化が継続していないことが全国各地で起きているという。
木村さんは、「将来的にどんな人材が必要なのかという自治体のメニューが必要。どういう人材を、どこが作り上げていけばいいかを議論しないと地域活性化は長続きしない」と言う。
平成20年に全国30大学が加盟した地域活性学会の創設に中心的な役割を果たし、この学会がベースになって同21年8月には一般財団法人地域活性機構として法人化している。
木村さんは地域再生でもっとも大事なこととして次のように述べる。
「行政は黒子、地域の人が主役です」
道知事選出馬を決意するかどうかは、まだ分からないが、出馬を決意すれば、現高橋はるみ知事との一騎打ちになり自民・民主の全面対決になる。
遠軽高は奇しくも堀達也元知事の出身校でもある。
(写真は、知事候補に浮上した木村俊昭さん)

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