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 「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
 第50回は、幕別町の「蝦夷文化考古館」です。ぜひご愛読ください。

(合田一道)

■第50回 蝦夷文化考古館 ―アイヌ自身が建てた民族の宝庫―


蝦夷文化考古館

 十勝管内幕別町に「蝦夷文化考古館」と名乗る資料館がある。帯広駅からバスで国道38号を東に向けて25分間ほど走ると、「「郷土館前」。ここで降りると、道端に建物が建っている。これがアイヌ民族により設置されたアイヌ民族の考古館である。
 白人(チロット)コタン出身のアイヌ民族の指導者、吉田菊太郎が、先祖の残した文化財の散逸を恐れ、戦前の昭和15年(1940)に北海道アイヌ文化保存協会を組織して会長に就任して以来、各市町村や団体、個人に協力を呼びかけて塊集を続け、昭和34年(1959)に私費200万円を費やして開館、自ら初代館長になった。展示物総数200点に及ぶ。
 長く吉田の個人所有だったが、昭和40年(1965)に68歳で亡くなった後、遺族らが故人の意志を尊重して、幕別町に寄贈された。現在は町が誇る幕別ふるさと館、忠類ナウマン象記念館と並ぶ3つの郷土館の1つとして公開されている。


蝦夷文化考古館の内部。展示物の丸木舟

 寺院を思わせる屋根に見とれながら、棟続きの玄関で靴を脱ぎ館内に入ると、中央にアイヌ民族が用いた丸木舟が置かれている。壁面には樹皮で作ったアットゥと呼ばれる衣服などや古い写真が、ところ狭しと貼られている。
 低い位置には、儀式に用いるシントコと呼ばれる漆器の行器やトッキ(盃)、タカイサラ(天目台)、イタ(膳)、キサルシイナウ(鳥の神用の道具)などが並んでいる。
「展示物はどれも実際に使われたものです。アイヌ民族の誇りを伝える貴重なものです」と管理人の森田茂生さんは語る。


展示されている漆器類

 考古館が建つこのあたりは、十勝川流域の南側に広がる平原で、チロット地区と呼ばれていたが、現在は先住と呼称する。チロットとはアイヌ語で「鳥・多い・沼」の意。平野に十勝川の支流が何本も入り込んでいて、近くに沼もあったようで、鳥たちの楽園だったことが推測できた。
 途中に途別川が流れており、途別橋から眺めると、まさにアイヌ民族らが暮らした風景を感じる。少し離れた国道沿いには白人小学校があり、ここが吉田の出身校で、「開校120年記念誌」に「第9期生」と級友の中にその名が見える。
 吉田はチロットコタンの首長トイペウクの長男に生まれた。昭和2年(1927)、酒に酔って暴れ、笹ぶきの家を焼いたことから自らの過ちを悟り、禁酒の誓いを立てた。昭和4年(1929)に白人古潭矯風会を創設して会長となり、民族の生活改善を主張し、葬儀にも酒を用いなかった。


吉田菊太郎

 昭和7年(1932)、北海道方面委員制度が出来ると委員に選ばれ、地域の振興に努力した。民生委員を亡くなるまで務めたほか、村議・町議4期、町農業会長、北海道アイヌ文化保存会長などを務め、貧窮するアイヌ民族の問題を政府や北海道庁長官に訴えた。昭和39年(1964)、北海道新聞社会文化賞受賞などの功績がある。

利用案内
場  所:十勝管内幕別町千住114-1
電  話:0155-56-4889
開館時間:午前10時~午後4時
入 場 料:無料
休 館 日:毎週月、火曜日(月、火曜日が祝日の場合は翌日)及び年末年始(12月30日~1月5日)

付近の見どころ:
パークゴルフ発祥の地の碑
幕別町寿町のパークゴルフ場は、昭和58年(1983)に国内で初めて開設されたもの。近くに「パークゴルフ発祥の地」の標識が見える。ここはつつじコース(18ホール)と呼ばれ、ほかにパークゴルフの町にふさわしく、サーモンコースなど12コースが設置されている。

文・写真 合田 一道

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