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 「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
 第34回は、札幌市の「真駒内駐屯地史料館」です。ぜひご愛読ください。

(合田一道)

■第34回 真駒内駐屯地史料館 ~自衛隊を身近に感じてみよう~


史料館1号館と右の2号館の外観

 陸上自衛隊真駒内駐屯地に史料館がある。太平洋戦争後の1946年(昭和21年)~1954年(昭和29年)の間、占領政策で進駐した北海道方面担当の米軍が、350棟ほどの赤レンガの兵舎を建てた。史料館は、現存している3棟に設立された。「現在の陸上自衛隊」、「屯田兵」、「旧陸軍」に分け、多くの史料を公開している。1955年(昭和30年)に開館、2014年(平成26年)7月にリニューアルした。

 1号館は「官営牧場から真駒内駐屯地への変遷」である。明治からの真駒内の歴史を、牛や羊の群れが広がる牧場の展示から始まる。米軍が戦後に進駐した「キャンプクロフォード」と呼ばれたキャンプ、撤退後に警察予備隊から改組した自衛隊(特に陸上第11旅団)の「真駒内駐屯地」へと連なる様子を説明している。
 壁一面に貼ったキャンプ時代の大きな地図が見える。ここから真駒内に、軍用の滑走路、パンやミルク工場の鉄道の引き込み線、ゴルフ場があったのだと解かる。最近まで使用されていたペンタゴンを模した総司令部の模型もあった。

 道南と道央地区が担当の陸上第11旅団の「奥尻島の南西沖地震」や「豊浜トンネル崩落事故」への災害活動、イラク復興支援などの海外活動の説明内容も解かりやすい。大災害時では、最後の砦である自衛隊の存在は大きい。

 2号館は「開拓使と屯田兵による北海道の防衛と開拓」だ。北方探検の先駆者として、江戸時代中期の林子平やロシア遺日使節ラクスマンの紹介から説明は続く。明治からの北海道防衛の先駆者となった屯田兵の制度や入植の流れを、パネルで表している。
 琴似屯田兵屋や住まい内部の模型、質素な生活の備品を見ていると、暮らしの苦労が偲ばれ、思わずタイムスリップしてしまった。

 3号館は「道央圏防衛を担った精鋭歩兵連隊」だ。戦前の旧日本陸軍歩兵第25連隊などが、武装解除されるまでの流れを展示。屯田兵を基盤に独立歩兵大隊として誕生した。その後の日露戦争の二百三高地と奉天会戦、昭和初期の満州事変とノモンハン事変、そして終戦でも中立条約を破り侵略を続けたソ連軍に対する戦いまでを述べている。この部隊が日本の戦史上、重要な位置づけにあったのに気づかされた。


3号館内部。手前はノモンハンで使用された弾薬運搬用の「軽重車」である

 別のコーナーでは、明治から昭和初期の軍の正装が展示されていた。現在の自衛隊の服装と比べて、その時代の移り変わりが感じられる。他に、戦争高揚のため、アジアを欧米諸国から解放させる内容のポスターや宣伝ビラが展示していた。しかし、アジア諸国民が見学したら、どう感じるだろうか?


蒋介石が率いる中国軍への宣伝ビラ

 ぜひ、見ておきたい展示は、樋口季一郎中将だ。1938年(昭和17年)、迫害から多数のユダヤ人が、シベリア鉄道経由で満州国境まで逃げて来た。軍は入国を躊躇したが、個人の判断で生活物資を与え、満州国への入植、また上海などへの亡命も手助けした。終戦後のソ連軍と占守島や樺太での戦闘を指揮し、北海道占領の野望をくじいた軍人でもある。
 東京裁判では、ソ連は戦犯に指名するが、世界ユダヤ協会が立ち上がり、アメリカ政府を通して拒否させた。このユダヤ人救済処置は、日本人として外務省の杉原千畝とともに忘れてはいけない人物だろう。

 来館には事前予約が必要で、駐屯地東門か西門から係員が同行する。駐屯地内には、米軍が建てた教会などまだ現役の建造物や、戦闘車両もある。駐屯地開庁記念日や盆踊りの日は、開放され自由に見学可能だ。

利用案内
休 館 日:土日祝日
開館時間:8:30~17:00
料  金:無料
駐車場あり。
事前予約:広報担当(TEL:011-581-3191内線3905)にお問い合わせ。

付近の見どころ:
「エドウィン・ダン記念館」
ダンは、明治初期の開拓使により招かれたお雇い外国人の一人。真駒内に畜産技術改良のための拠点として官営牧場を開いた。

文・写真 河原崎 暢

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