札幌ドームの名物社長だった瀬戸武さんが6月24日に退任する。瀬戸さんは、帯広柏葉高卒で1958年に当時の国鉄入り。最初の配属先は、釧路鉄道管理局の車掌区で貨物列車の車掌をしていた。国鉄入りから32年後の90年、瀬戸さんはJR北海道取締役釧路支社長に就任。高卒、車掌から始まった瀬戸さんの鉄道人生は経営陣まで登り詰める劇的なものだった。

その後、瀬戸さんは今で言う「アピア」の社長になる。当時、アピアは札幌ステーションデパートと呼ばれていて、札幌駅の高架化に伴う立ち退き問題などが深刻になっていた。瀬戸さんは、相手の懐に飛び込む裸の交渉でこの問題を解決、現在のJRタワーが出来るまでの基礎を固めた。「コンクリートから人へ」ではないが、人が一つにならなければコンクリートは出来ない。旧札幌駅に直結していた商業店舗の店主たちの心を一つにしたことによって現在の札幌駅が完成したのは裏面史として刻まれるべきだろう。
人の心を一つに纏める職人とも言える瀬戸さんは、まさにドーム社長にぴったりだった。その最たるものは北海道日本ハムファイターズとの関係。球団トップとの良好な関係はドーム入場者の増加に結び付き、遂に昨年度は300万人を突破。ドームで日ハムの試合がある日には、ネット裏で日ハムの球団社長と瀬戸さんが並んで観戦する姿がいつもあった。
「社長になってから4年間は殆ど休んでいないんですよ。一日をゆっくりと自分の時間として過ごしたのは何日もなかったな。JRを辞めた後、11年間札幌駅地下街開発(アピア)の社長を務め、67歳から4年間ドーム社長として人生の集大成に相応しい仕事をさせてもらった」と瀬戸さん。
瀬戸さんは、高校時代は野球部に所属しキャッチャーとして活躍した。甲子園の出場を掛けた試合では北海高校に負けて叶わなかったが、その後も国鉄釧路鉄道管理局の野球チームに所属、野球を続けた。
キャッチャーだった瀬戸さんはピッチャーとなってのドーム新社長となるHBCの長沼修会長に経営のボールを投げることになる。ドーム社員70人の「ストライク」と叫ぶ声が聞こえそうだ。

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