大証ジャスダックと札幌証券取引所に上場しているサッポロドラッグストアーの富山睦浩社長は23日、札証で開かれたIRセミナーで、ドラッグストアを始めた経緯や先週19日にオープンした利尻店の現況などを語った。個人投資家など約80人が参加、富山社長の話に耳を傾けた。(写真は、札証で講演する富山睦浩社長)

 

富山社長は、1947年10月漁師の息子として根室に生まれた。当時、根室はソ連(現ロシア)沿岸でサケ・マスを漁獲する遠洋漁業の基地。航海に出て行く船には、乗組員たちの健康を守るためにたくさんの薬が積み込まれていた。

富山少年は、そんな光景を見ながら「薬屋っていい商売だな」と感じたという。

 

それが、富山少年と薬の原初的な出合いだとすれば、それをさらに深めたのが実母の病気だった。

 

実母は身体が弱く、現在もそのままの建物が使われている根室市立病院に通院。しかし、優秀な医師はなかなか来てくれず、度々薬局で母親は薬を処方してもらっていたという。

 

抗生物質など当時としてはきつい薬もオーダーメードで処方してくれる薬剤師の姿を、尊敬の眼差しで見つめる富山少年は「将来は薬剤師になる」と決意を固めた。遠洋漁業の船に積み込まれる薬を眺めながら、漠然と薬の世界に憧れを抱いた少年は、実母の病気という境涯によって、薬剤師の仕事を胸に手繰り寄せた。少年は中学生になっていた。

 

北海高校に進学して昭和大へ進学。薬剤師の資格を取得して札幌に戻り、独立したのは25歳の時だった。

 

札幌市の西に位置する手稲山口にあった150坪程度のスーパーの一角に15坪の小さな薬局を2人で開店。それが、サッポロドラッグストアーの原点になった。

 

サッポロドラッグストアーは、創業以来の社名だという。会社の名前には創業者個人の名前を冠するのが一般的だが、富山社長の名前では『富山薬局』、あるいは『富山ドラッグ』になってしまい、どうしても富山の配置薬というイメージが先行してしまう。

 

富山県黒部がルーツの富山社長にとって、それでも構わないという気持ちもあったが、札幌の地で事業を大きくしたいという願望が強かったため、『サッポロドラッグストアー』を選択。以来39年、その選択がその後の成長を担保する原動力になったようだ。

 

「創業のころは、電話で社名を名乗っても、相手から『札幌トラックさんですか』と良く間違えられた。なにせドラッグストアという業態が普及していなかった時代ですからね」(富山社長)

 

ドラッグストアという業態が時代を切り開いたのか、あるいは時代がドラッグストアを必要としたのか、その後の成長は順調だった。

 

現在の店舗数は、5月19日にオープンした利尻店を加えて133店(ドラッグストア122店、調剤薬局11店)。2011年2月期の売上高は370億9200万円、経常利益は7億2400万円。

 

売り上げ比率は、フード34・3%、ビューティケア22・1%、ヘルスケア19・1%、ホームケア15・4%などとなっている。

 

富山社長は、利尻店について「フード部門には生鮮食品以外の日配品や冷食のほかにスイーツや冷凍肉・魚を揃えている。魚は地元で獲れるものは地元商店などでも売っているが、地元で獲れない魚介類は売っていないので、この店では冷凍の様々な魚介類を並べることにした」と言う。

 

また、7月には地元業者と組んで、弁当や惣菜、生鮮三品も扱う予定で、「何でも揃う利尻店にしたい」と語った。

 

「私の経験から言うと、農業のマチよりも漁業のマチの方が買いっぷりが良いですね」と利尻店に期待を掛ける。また、6月には同じく漁業の町である函館市川汲(かっくみ)町に123店舗目のドラッグストアをオープンさせる。

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