セイコーマートは、12月25日に道内1000店目となる「江別幸町店」をオープンさせた。1971年に1号店が開店して以来40年で大台に乗せた。セイコーマート1000店へ連綿と繋がったのは1号店があったからこそ。原点となるセイコーマート1号店とはどんな店なのか。


1号店は、1971年に札幌市北区北30条西8丁目で産声を上げた。現在もオーナーとして一線で働いている萩中末雄さん(73)が食料品店を始めたのは1961年、25歳の時。実家は酪農業だったが、長男ではなかったために家具職人として働く傍ら、夫人と共に食料品店を開き生計の足しにしようと考えた。
このあたりは、戦前札幌飛行場として使われ、周辺には酪農家が牛の放牧が盛んだったという。
食料品は、丸ヨ西尾から仕入れていたが、そのころに店の運営で様々な助言をしていたのが現在のセイコーマート会長、赤尾昭彦さん。
萩中さんが言う。
「赤尾さんは、スーパーカブに乗って店にやってきて、棚を見ながら補給する商品を手帳に書いていました。翌日には商品が配送されてきましたね。そうこうしているうちに、赤尾さんの力を貸してもらってタバコや酒の免許が下りたので、71年に私が32歳のときに『コンビエンスストア はぎなか』の看板を出して衣替えしました」
当時は15坪の店舗面積だったが、萩中さんは300万円をかけて内装を変えたという。当時は、コンビニエンスストアという名称は全国的にもなく、「赤尾さんの先見の明があったのでしょう」(萩中さん)
店舗は、住宅街の一角にあり駐車スペースも少なく一見客よりも固定客がほとんどを占めているようだ。
丸ヨ西尾は、萩中さんの1号店の後、酒販店をコンビニ店に転換する動きを積極化し3年後の1974年に店舗数が14になった段階で株式会社「セイコーマート」を設立した。
セイコーマートの初期のフランチャイズ(FC)店の多くはオーナーの代替わりが進んでいる。萩中さんは息子さんが跡継ぎになって一緒に店舗を運営しているが、後継者のいない店舗はセイコーマートの子会社、セイコーリテールサービスの直轄店へ移行が進んでいる。
1号店から手探りでFC展開を進めてきたセイコーマートは40年で道内1000店に到達、FCというビジネスモデルを他の大手コンビニチェーンには負けないほどに高めてきた。デフレ、高齢化などコンビニ業態が変革期に入っている中で、1号店から続いているセイコーマートのDNAは環境変化に対応する進化を続けているようだ。
(写真は、1号店『セイコーマートはぎなか』と代表の萩中末雄さん)

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