IMG_8364『ミドリムシが地球を救う』を信念に絶対不可能とされていたミドリムシの大量培養技術を開発したベンチャー、ユーグレナの出雲充代表取締役。カネなし、コネなし、技術なしの中からアントレプレナー(起業家)として伊藤忠商事やANAと提携するほどミドリムシの可能性を切り開いたのは、出雲氏が絶対諦めない心の持続力を持っていたからだ。出雲氏は「何でも良いが、ビジネスや文化、芸術でも1番にならなければ人も情報も金も集まってこない。アントレプレナーは1番を目指さなければならない」と強調した。8月27日に札幌市内で開催された北海道アントレプレナーシップアワード2013で、出雲氏が講演した内容を抜粋してお届けする。(写真は、ミドリムシをイメージした緑のネクタイ姿で講演する出雲充氏)
 
 出雲氏は東大農学部に入学して18歳で初めて海外に行く。選んだのは飢餓で苦しむバングラデシュ。NGOのインターンシップを利用してバングラデシュでアルバイトをしながら現地の状況を肌で感じようとしたためだ。現地の子どもたちに喜んでもらおうと、栄養補助食品の“カロリーメイト”をトランク一杯に詰めて見地に入ったが、バングラにはイメージしたような飢餓の風景はなかったという。
 
「カロリーメイトで喜ぶ人は1人もいなかった。お腹が減って困っている人はいない。足りないのは栄養のバランスだということが分かった。植物性と動物性の栄養素をバランス良く取ることが如何に難しいか、それは衝的な体験で日本に戻ってから両方を兼ね備えたものを探した。行き着いたのはミドリムシだった」
 
 ミドリムシは、一粒で動物と植物の栄養を持つもので、ワカメ、ヒジキ、カゴメコンブなどの仲間。決定的に違うのは動ける能力。しかし、栄養満点だからバクテリアがすぐに食べてしまう。80年代から大量培養の様々なアイデアがあったが、増やしている最中に他の生き物に食べられてしまうため、栄養満点ということが分かっていても大量に育てるのは難しかった。
 
 出雲氏は東大農学部を卒業して東京三菱銀行に入行したが退社して2005年ユーグレナを創業。同年12月16日に屋外でミドリムシの大量培養に世界で初めて成功した。大学3年の時からミドリムシに関わってきた出雲氏が得た結論は「1番でなければいけない」ということ。ビジネスでもスポーツ、文化、アートでも1番になることにこだわることが大切だとする。
 
「皆さんは日本一高い山と言えば富士山だということを知っているが2番目に高い山はどこか知っていますか。湖で琵琶湖の次に大きいのはどこか知っていますか。専門家やマニアの一部の人を除いてほとんどの人は知らないだろう。試しにネットで検索してみてください。富士山と2番目に高い北岳を比べてみればヒットする数が圧倒的に違う。それほど1番と2番は違うということです」

 出雲氏がミドリムシで1番になったのは、お金があったからでもネツトワークがあったからでもない。「皆さんから『お金があったのでしょ』とか『特別の人脈があったからでしょ』と言われるが、私の実家は平均的なサラリーマン家庭で母は専業主婦。多摩ニュータウンに住んでいたし何も資産らしいものはなかった」
 
それなのになぜ1番になったのか。出雲氏はこう強調する。

「例え成功率が1%で99%失敗することが分かっていても挑戦すること。2回目に挑戦すると成功確率は2%になる。5回挑戦すると4・9%まで高まる。50回で39%、100回やると63%はうまく行く。私は100回目のトライでミドリムシの大量培養液を開発できた。それを買ってくれたのが伊藤忠商事。開発して3年間、500社以上回ったがすべて断られたが伊藤忠が注目してくれた」
 
「ちなみに495回の挑戦で成功確率は99%になる。金持ちでなくても人脈がなくても1番になれる。私の唯一の取り柄でもあり、アントレプレナーに必要なことは諦めずに成功するまで続けることだ」
 
 出雲氏はANAとも提携、2020年にはミドリムシで作った燃料で飛行機を飛ばす計画も立てている。
 
「自分がやりたいことは続けることが成功する鍵です。北海道のアントレプレナーを目指す人には『私のチームは北海道の○○で一番です』と言えるように挑戦を続けて欲しい。そして1番になれば技術、知恵、支援してくれる人が必ず集まってきます」と結んだ。


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