札幌国際大学の濱田康行学長は、札幌商工会議所の社会基盤整備セミナーで講演し、東日本大震災によって日本の経済社会に占める北海道の重要性は高まり期待感も大きくなっていると語った。その中で、「日本海と太平洋が平野部でつながり、産業集積のある道央圏の強化プランを設計し直して北海道から復興に向けて何ができるかを発信していく“北海道イニシアティブ”をキーワードにするべきだ」と強調した。(写真は講演する濱田学長)
 
 濱田学長は、北大経済学部教授時代の2008年に、丹保憲仁北大元総長などともに第7期の北海道総合開発計画を策定したメンバー。
 
 北海道開発計画は、10年ごとに更新され閣議決定を経て国が認めた開発計画として、一定の重みがある。
 
 第7期の計画は、敢えて7期とは記さず、『新たな北海道総合開発計画』と命名、その中のキーワードは①日本に貢献する北海道=北海道イニシアティブ②先駆者としての北海道=フロンティア北海道③自律する北海道=北海道スタンダードの3つだった。
 
 開発計画の中では苫小牧東部地区の活用についても触れ、「阪神大震災も経験していたため、被災者を大掛かりに受け入れ、働く場所と住む場所とアメニティ環境も整備した『もしもの街』を苫東に作ることを提案したが、当時は一笑に付されて殆ど日の目を見なかった。座長私案として捕論に留め置かれる程度だった」と濱田学長は当時を振り返る。
 
 東日本大震災によって、東京一極集中の分散や食料の安全保障、自然環境や冷涼な気候がもたらす人々への癒し、温かいホスピタリティのある北海道は、日本だけでなく東アジアの中でも“輝く拠点”として再認識され始めた。
 
 濱田学長はそうした期待感の高まりの中で、道央圏の強化プランを再設計すべきと言う。
 
「小樽から苫小牧、室蘭にかけては陸海空のインフラがあり、札幌圏には優秀な医療産業集積もあって、何より移住者を受け入れる風土がある。それに、優秀な行政組織が揃っていることも大きい。現在も道央圏には力があるが、さらにそれを伸ばすことは可能だ」とアピールした。
 
 濱田学長が『もしもの街』を計画した当時、シンクタンクの試算で1万戸の住宅を作るのにインフラ整備を含めて300億円が必要とされたが、東日本大震災の被害額を考えると、この金額は多いのか少ないのか。
 
 濱田学長は、「『もしもの街』については、行政を含めてもう一度考えてくれることになっているので今後が楽しみ」と述べていた。
 
 震災後の復興需要の一部は、既に北海道にも波及し始めているが、濱田学長は「こうした復興需要に乗るだけではダメ。GDPで日本は3位になり5年以内には4位になりかねず、経済で生きていくニッポンが踏みとどまるためには、北海道から何ができるのかという発想から思考するべき」と結論付けていた。
 この講演は24日に札商8階で行われ約200人が聴講した。


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