一般社団法人倶知安観光協会の吉田聡会長(50、吉田聡司法書士・行政書士事務所所長)が21日、札幌市中央区のキャリアバンクセミナールームで行われたSATOグループオープンセミナーで講演した。ニセコエリアの国際化は、英語に堪能で不動産取引に精通した吉田氏がいなければ実現しなかったと言われる。いわばニセコエリア観光の陰の立役者でもある。講演の後半部分の要旨をお届けする。IMG_7010(写真は、吉田聡・倶知安観光協会会長)

 リーマンショックの影響はニセコエリアにそれほど影響を与えなかった。その年の冬もオートスラリアや香港のスキー客で賑わった。なぜあまり影響を受けなかったのか。要因はハッキリとしないが、ひとつ言えることは、ニセコエリアはパウダースノーを体験した外国人が自ら発信して口コミで外国人が増えていった経過があった。口コミで伝わった観光地の魅力は、経済的事件があってもそれほど左右されないのかもしれない。

 もうひとつが通信インフラの整備だ。前述したように2002年にヒラフ地区はブロードバンド化されたが、リーマンショックが起きた08年には札幌に続き全道2番目に同地区でBフレッツ光回線が整備されている。「この通信環境は外国人に確実に評価された。02年のブロードバンド化と同様、地域の先見性が外国人を惹きつける要因になった」と吉田氏は話す。

 2011年3月11日、東日本大震災が東北地区を襲った。未曽有の災害と原発事故でニセコエリアからも外国人の姿が消えてしまったという。「働いている外国人従業員たちも震災後1週間目には誰もいなくなった。今後こそ本当に観光地としてのニセコエリアは終わったと落胆した」(吉田氏)

 吉田氏自身も不動産が売れなくなったため事務所の仕事が激減、所員の給与などに貯えは消えていった。「震災後の2年間は文字通り辛酸を嘗め、耐えに耐えた日々だった」と述懐する。頭をよぎったのは、外国人による不動産の叩き売りだった。バーゲーンセールが始まればニセコエリアのブランド価値は一瞬で消えてしまう。

 しかし、案に相違して外国人は誰ひとりとして不動産を売却しなかった。オーストラリア富裕層の投資が多く、すぐに売る必要性がなかったためだ。当時の民主党政権から13年に安倍晋三・自民党政権に移行、間もなく始まったアベノミクスによってニセコエリアも息を吹き返し、15年には再び住宅地の地価上昇率日本一になった。「今は売主がオーストラリア人で買主は香港、シンガポールの人が多い。まだまだ外国人による不動産投資は増え続けるだろう」と吉田氏は見る。

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